ベルンシュタイン・スヴァーリン文庫

L. ベルンシュタイン(1877-1962年)とB. スヴァーリン(1895-1984年)のそれぞれの蔵書の一部を合併した約1,200点のコレクション。本コレクションは特にロシア語文献の収集に力を入れており、19世紀後半から20世紀初期の重要な社会主義運動の文献が網羅されている。ベルンシュタイン、スヴァーリンともパリに住むロシア人活動家としてロシア革命に深く関わっており、その蔵書は当時の運動家の知的関心を知る上でも興味深いものであろう。

ゲルツェン、チェルヌイシェフスキーらの19世紀の著作から、ロシア革命を前後するレーニンの主要著作とその各国語訳、ブハーリン、スターリン、トロツキーらの文献などを豊富に含んでいる。

文献

農奴解放令

Положения о крестьянахъ, вышедшихъ изъ крепостной зависимости
(Bernstein:60)

農奴解放令
農奴解放令

出版事項

Положения о крестьянахъ, вышедшихъ изъ крепостной зависимости
出版者Санктпетербургъ, [s.n.]
出版年 1861
形 態1 v. (various paging) ; 36 cm
本文言語 ロシア語

解説文

『1861年2月19日皇帝陛下勅令、農奴的従属から脱却した農民に関する条令』は、いわゆる「農奴解放令」として知られる勅令の全文。ロシア皇帝アレクサンドル2世によって署名され、1861年3月5日に公布された。クリミア戦争の敗北は、ロシアの技術的、経済的な立ち遅れを明らかにしたが、とりわけ農業における資本主義的関係の発展を妨げていた農奴制の解体は大きな課題の一つであった。農奴解放が避けられぬことを察知して動揺する貴族たちに対して、皇帝は「われわれは遅かれ早かれこの問題を取り上げなければならない」し、そうであるなら「下からより上から始められる方がはるかによい」と述べて、側近の官僚とともに改革を主導した。結局、1861年に公布された解放令は、農民にとって高額な償却費用が必要となることや、解放後も事実上共同体(ミール)に縛り付けられ続けることなど不十分なものではあったが、これによって農民は、法的には自由を得ることとなった。センター所蔵資料は、1861年にサンクトペテルブルクで出版されたフォリオ。

コーロコル

Колоколъ
(Bernstein-Souvarine:65)

コーロコル
コーロコル
コーロコル

出版事項

Колоколъ : прибавочные листы къ Полярной звезде
出版者 London :Вольная русская типограФия
出版年 1857-1865
形 態 1 v. ; 33 cm
注記事項 English title added: The bell (<листь 2 (августа 1857)>-)
Library has No. 1 (июль 1857)- No. 196 (апр. 1865)
本文言語 ロシア語

解説文

ロシア語で『鐘』を意味する誌名をもつこの雑誌は,19世紀ロシアの代表的思想家であるアレクサンドル・ゲルツェンと,その友人ニコライ・オガリョーフによって、亡命先のロンドンで1857年に創刊された。誌名は、中世ロシアの自治都市ノヴゴロドの民会「ヴェーチェ」の召集を知らせる鐘に由来する。ヴェーチェの鐘は、15世紀にイヴァン3世によってモスクワへと持ち去られて以来、その音を響かせることはもはやなかったが、ゲルツェンにとってそれは、ロシアに取り戻されるべき自由の象徴であった。伝説によれば、ノヴゴロドはロシアで最も古い町の一つであり、イヴァン3世によって専制的ツァーリズムの中に組み込まれるまでの300年以上にわたって、共和制都市国家として自由を謳歌していたからである。ロンドン版『鐘』は1867年に発行を停止し、翌年からジュネーブで刊行されたが、これも1年弱で廃刊となった。センター所蔵資料は、No.1からNo.196(1865年)までが、一部の附録を除いて、ほぼ完全に揃ったセットである。

プロレタリー

Пролетарiй
Bernstein-Souvarine:754

プロレタリー
プロレタリー
プロレタリー

出版事項

Пролетарiй : центральный органъ россiйской соцiальдемократической рабочей партiи = Le Prolétaire
出版者 Женева : Тип. Партiи
出版年 1905-
形 態v. ; 45 cm
注記事項 Library has No. 1 (27(14) мая 1905 г.)- No. 26 (25(12) ноя 1905 г.)
本文言語 ロシア語

解説文

ベルンシュタイン=スヴァーリン文庫にはレーニン自身の著作の初版本30件も含め、レーニン関係文献が100件以上所蔵されている。このうち、レーニンが創刊した機関紙『イスクラ(火花)』、『フペリョート(前進)』、『プロレタリ-』のバックナンバーの完全揃いはたいへん貴重なものといえる。『プロレタリ-』は1905年の第3回ロシア社会民主労働党大会において指導権を奪還したレーニンが、党の中央機関紙として創刊したもの。第1号は1905年5月発行。国外で印刷され、ロシアに持ち込まれた。以降週刊で刊行され、同年11月まで合計26号が出された。レーニン自身による60近くに上る論説記事を含めて、全紙にわたってメンシェヴィキに対する痛罵に満ちており、『イスクラ』、『フペリョート』同様、社会民主労働党内で続いていたボリシェヴィキとメンシェヴィキの党派抗争の証言となっている。